カテゴリー「古代史」の39件の記事

2009年11月11日 (水)

[NEWS] 纒向遺跡で大型建物跡を発見

どうして、 こうも天皇家の歴史を潰そうとしたがるのかねぇ。 奈良の纒向で宮殿が見つかったとなれば、 まずは歴代天皇のどなたかのものではないかと考えるのがスジでしょう。 それこそ、 陵墓同様に皇室管理になったとしてもおかしくないのに。

asahi.com(朝日新聞社): 3世紀前半の大型建物跡、 邪馬台国の中枢施設か 奈良
2009年11月10日22時7分

奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(2世紀末~4世紀初め)で、 3世紀前半(弥生時代末~古墳時代初め)の大型建物跡1棟が見つかった。 市教委が10日発表した。 同時期の建物としては、 国内最大の面積で、 邪馬台国の女王・卑弥呼が君臨した時期にあたり、 専門家は「邪馬台国の中枢施設の可能性がある」と指摘している。

 

佐賀新聞の情報コミュニティサイト ひびの: 奈良・纒向遺跡に大型建物跡 卑弥呼の宮殿か
2009年11月10日更新

 石野博信兵庫県立考古博物館長(考古学)は「畿内説に立てば、 卑弥呼の宮殿とみていいだろう。 これほど計画的に配置された建物群は同時期に国内で例がない」と指摘。 これに対し、 九州説の研究者は「遺跡全体の発掘が進んでおらず、 今回の発見だけで卑弥呼と結び付けるのには無理がある」と反論している。

 床を支える束柱つかばしら跡もあり、 黒田龍二神戸大准教授(日本建築史)が市の依頼で復元した結果、 高さ約10メートルの入り母屋造りと想定された。 市教委は「纒向遺跡の中枢部が明らかになった。 中心的な人物がいたと考えて間違いない」としている。

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2009年2月 9日 (月)

[わんくま同盟 名古屋勉強会] 第6回 (2009/02/07) の資料

20090207_wankuma01 第6回でも LT ( Lightning Talk ) ってことで、 前回に味をしめてさらにヨタ話を f(^^;わんくま同盟 勉強会の資料

LT で喋ったことですが、 わからなくなったらオリジナル、 原本に当たってみろ! ってのは、 どこの世界でも同じなんです。

ダウンロード用の資料には、 LT ではお見せできなかった資料が 2ページ付いてます。

なお、 この資料は、 次の環境で作成しました。
・ Windows 7 beta @ Eee PC 1000H
・ StarSuite Impress ( Power Point の Star Office 版 )
  ※ PDF への変換も StarSuite です。

で。 じつは外部モニターへの接続試験をせずに、 当日を迎えちゃったので、 ドキドキもんでした。 実際にプロジェクターを繋いでみると… プロジェクターを認識して、 勝手に解像度が切り替わって両方に出力されました。 いや、 びっくりです。

20090207_wankumasan オマケ。
当日の捕獲物、 「わんくまさん?」 500円 f(^^;
通販とかはしてないハズなので、 欲しい人はわんくま勉強会に参加してげっとだw

( 2009/02/11 追記 ) 右上の写真は、 当日のメインw である懇親会の鮎 

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2008年9月15日 (月)

(続) 詳説日本史研究 改訂版

前の記事で、 池田信夫 blog によれば、 詳説日本史研究 改訂版 に 『「倭人伝」 という書物はない。 その内容も後代になって書かれた伝聞や推測で、 信頼性は低い。』 と書かれている、 と紹介しました。
が、 これは誤りでした。

≪Amazon≫詳説日本史研究 改訂版 ようやく 詳説日本史研究 改訂版 を入手出来たので、 該当する記述を探してみました。 「倭人伝」 について書かれているところから、 二箇所ほど引用してみます。

( p.28 本文 )
( 前略 ) 三国時代をむかえた。  この時代の歴史書である 『三国志』 のなかの 『魏志』 倭人伝には、 3世紀前半から中葉の倭の情勢がかなり詳しく書かれている。

( p.28 脚注 )
正確には 『三国志』 のなかの 『魏書』 の 「烏丸鮮卑東夷伝」  のなかの倭人の条のことで、 倭人に関する記載だけで一伝が立っているわけではない。 『三国志』 は西晋の陳寿が 3世紀後半に著したもの。

そのほかかなりの量の記述があり、 倭人伝の解釈についてはいろいろ問題がある ( 意見が分かれている ) とされています。 しかしながら、 「後代になって書かれた」 という記載を見つけることはできませんでした。
引用したように、  「3世紀前半から中葉の倭の情勢」 を 「3世紀後半に著したもの」 であるという記述があるだけです。
また、 倭人伝の全体の内容を、 「伝聞や推測で、 信頼性は低い」 とするような記述も、 見当たりませんでした。

ということで。
池田氏が箇条書きのひとつとして書かれた、

魏志倭人伝」は存在しない:三国志の一書である魏書に「倭人の条」があるだけで、「倭人伝」という書物はない。その内容も後代になって書かれた伝聞や推測で、信頼性は低い。

…という文章を、 私はすべて、  詳説日本史研究 改訂版 からの引用・要約であると受け取ったのですが、 それは思い違いで、 「その内容も~」 という後半のくだりは、 池田氏の意見・主張でありました。
また、 残りの箇条書きの文章については検証していませんが、 引用・要約と、 氏の意見・主張とが、 同様に混ざって書かれている可能性があるでしょう。


※ ちなみに、 詳説日本史研究 改訂版 でも、 三国志によると、 と言いながら、 なんら注釈もせずに 「邪馬台国」 と書いています (p.28)。 三国志によるならば、 「邪馬壱国」 ですね。

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2008年9月 2日 (火)

詳説日本史研究 改訂版

池田信夫 blog より。

変わる日本史の常識

受験勉強のころお世話になった参考書が、 10年ぶりに改訂された。 いろいろ話題になっているが、 古代史がかなり大幅に書き換えられている:

へぇ~。 少しずつは変わってきてるんですね。

世界最大の墓の実態は、 仁徳天皇の陵なのかどうか分からない、 とか。 645年の  「大化の改新」 は存在しなかった、 とか。
何十年前の話だよ、 と思わなくもないですが。 それでも、 学習参考書にそう書かれた、 ってのは一歩前進かと。

しかし、 逆にヘンな記述が増えた部分もあるようで。

・ 「魏志倭人伝」 は存在しない: 三国志の一書である魏書に 「倭人の条」 があるだけで、 「倭人伝」 という書物はない。 その内容も後代になって書かれた伝聞や推測で、 信頼性は低い。

Wajinden01a 『「倭人伝」 という書物はない』 というのは、 そのとおり。
※ しかし、 見出しに 「倭人伝」 と書いてある版本は現存しています

そして、 問題はココ → 『後代になって書かれた』

三国志は、 魏 ( A.D. 220~265 ) を中心とした時代のことを、 魏王朝から禅譲された西晋王朝の命によって、 陳寿 ( A.D. 233~297 ) が編纂した歴史書です。
陳寿は、 魏の時代にも生きていたんです。 さらに、 魏王朝の持っていた歴史資料を正当に受け継いだ、 西晋王朝の資料を使って史書を編纂したはずです。
昭和の歴史を、 昭和生まれの歴史学者が平成に書いたようなものなのに、 それを 「後代になって書かれた」 から 「信頼性は低い」 と言うのでは…
後漢 ( A.D. 25~220 ) のことを、 5世紀になってから范曄 ( A.D. 398~446 ) が編纂した後漢書などは、 まったく信頼するに足りないもの、 とでも言うのでしょうかね。

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2007年11月23日 (金)

Re: 歴史の面白さとは何か? 一人の歴史ミーハーの歴史観

オータムさんが、 歴史について興味深い論考を書いてくれてます
ので、 紹介がてら、 一部ツッコミ f(^^;

 

過去は1つしか存在しないにも関わらず、絶対唯一の「正しい歴史」なるものは存在し得ないのです。理由は簡単で、過去の起こった出来事を伝える情報の大半が欠落しているからです。

そのとおりだと思います。
情報が部分的に失われている… 事実を伝える情報が非可逆的変化を受けていると言ってもいいかもしれません。
非可逆的変化を起こしてしまった情報から、 もとの情報を復元することは不可能です。 できることは、 よりもっともらしい情報を復元すること…。

ちなみに、 私は、  「過去は1つ」 = 「正しい歴史」 だと思ってますので、 私の言い方だと 「正しい歴史は存在するが、 それを知ることは原理的に不可能」 ってことになります。 f(^^;

※ 「歴史」 という言葉には、 過去の変遷・興亡の事実そのものを指す場合と、 その記録を指す場合があります。 ここでの 「正しい歴史」 の歴史は前者です。 ( たとえば、 「歴史書」 は後者です。 )

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2007年11月16日 (金)

「栗は木材界の野生児」

日経夕刊 2007/11/12 の「あすへの話題」 の欄に、 建築家・藤森照信氏が寄せた、 「栗は木材界の野生児」 と題する文章が、 とても興味深い。

三内丸山から栗の柱が、 出雲大社からは杉の柱が発見されたことから始めて、 縄文時代は栗で弥生以降はスギ・ヒノキに変わってきたと言われるがそれは寺院などの大建築に限った話なのだ、 と続きます。

民家のレベルでは、 東日本ではいつまでも栗の時代がつづく。
( 中略 )
江戸時代、 さらに近代に入ってでも、 東日本で山に木を植えるといえば栗がふつうだったという。 私が信州の古老に聞いたところでは栗だけでなく、 きまってナラと一緒に混植しないとうまく育たなかったそうだ。

へぇ~、 近代まで東日本ではクリを植林してたとは!
また、 ナラと混植すると良く育つ、 という古老の話は貴重な伝承だと思います。

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2007年11月 1日 (木)

[萌ゆる神の国!] 卑弥呼って誰?

卑弥呼に該当する人物が、 日本の記録に残っているか…?
ざんねんながら、 この本にも書かれているように、 今のところ謎です。

( p.18 脚注 )
これまで多くの人物比定がなされてきた。 卑弥呼=アマテラス説もそのひとつで、 古代の女王=神話の女王というのはむしろ導き出しやすい想像でもある。

このほかに、 記紀の人物との比定としては、 卑弥呼=シタテルヒメ ( 下照姫・オオクニヌシの娘 ) 説や、 卑弥呼=ミカヨリヒメ ( 甕依姫・九州筑紫の豪族の祖 ) 説、  卑弥呼=ヤマトノヒメノミコト ( 倭姫命・ヤマトタケルの叔母 ) 説、 卑弥呼=ヤマトトトヒモモソヒメノミコト ( 倭迹迹日百襲姫命・第7代孝霊天皇の皇女 ) 説などがある。

文献に残っているなかで最も古いと思われる、 卑弥呼=神功皇后 説が抜けてますねぇ f(^^;

日本書紀は、 卑弥呼=神功皇后 ( じんぐうこうごう ) であると主張しています。
神功皇后は、 第14代仲哀天皇 ( ちゅうあいてんのう ) の妻で、 夫の死後、 摂政になったとされます。
以前 ( 大正末まで ) は、 第15代の天皇であったとされていました。

そして日本書紀は、 三国志の記事を持ってきて、 神功皇后の記事として掲載しています。
卑弥呼の名を伏せて 「倭女王遣大夫難斗米等」 とか 「倭王復遣使大夫」 といった部分を載せているのです。
日本書紀の立場としては、 卑弥呼=神功皇后 だというわけです。

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2007年10月29日 (月)

[萌ゆる神の国!] 邪馬台国はどこ?

江戸時代の学者・松下見林が生み出した、邪馬壱国ならぬ 「三国志の邪馬台国」 などという、 実際の史書に書かれてもいない存在は、 見つからなくてあたりまえだという気がしますが f(^^;

( p.18 ) 前述の 「漢倭奴国王」 の金印は見つかりましたが、 この 「親魏倭王」 の金印はいまだ見つかっていません。 それで、 邪馬台国はどこにあったか、 という論争になっているわけです。

ここは間違っているわけじゃありませんが、 ひとつ突っ込みを。

「親魏倭王」 の金印が見つかれば、 邪馬台国はどこにあったかという論争は、 はたして終わるのでしょうか? f(^^;

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2007年10月27日 (土)

[萌ゆる神の国!] 邪馬台国の卑弥呼?

( p.18 ) さて次に出てくるのが、 有名な 『魏志倭人伝』 と邪馬台国、 卑弥呼です。
漢が滅んだあと、 中国では魏、 呉、 蜀の三国時代となります。 『三国志』 ですね。
そのうちの魏に伝わる歴史書が 『魏志倭人伝』。 このなかに、 倭の強国として邪馬台国があって、 30もの小国を従え、 女王は卑弥呼だ、 と書かれています。

ぇえと、 まずは、 単純ミスと思われるとこから。
× 「そのうちの魏に伝わる歴史書が 『魏志倭人伝』。」
    ↓
○ 「そのうちの魏のことを伝える歴史書が 『魏志』。」

Wajinden01a で、 歴史書の名前としては、 『三国志』 です。
三国志は、 魏書・呉書・蜀書の 3部構成になっています。
魏書 ( 魏志とも言う ) には、 魏そのものと、 魏の周辺国のことが記録されています。 その最後の章にあたるのが 「烏丸鮮卑東夷傳 ( 通称、 東夷伝 ) 」 で、 そのさらに最後の節にあたるのが 「倭人伝」 です。
魏書・呉書・蜀書のそれぞれを独立した歴史書扱いすることはありますが、  ページの途中から始まってたりする 「倭人伝」 を独立した歴史書扱いするのはムリでしょう。

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2007年10月25日 (木)

[萌ゆる神の国!] 卑弥呼が最初の女王?

前の 「[萌ゆる神の国!] 日本で初めて国ができるのはいつ?」 では、 Q の後半を省略して紹介しました。 あらためて全部引用すると、 こうです。

( p.17 ) Q 日本で初めて国ができるのはいつ? 卑弥呼が最初の女王ですか?
A 初めて日本が歴史に登場するのは、 紀元前57年のことです。

この 「卑弥呼が最初の女王ですか?」 という問いには、 A にも、 それに続く解説文にも、 回答が書いてありません。

しょうがないので、 かわりに回答を書いておきましょう f(^^;

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