[NEWS] 纒向遺跡で大型建物跡を発見
どうして、 こうも天皇家の歴史を潰そうとしたがるのかねぇ。 奈良の纒向で宮殿が見つかったとなれば、 まずは歴代天皇のどなたかのものではないかと考えるのがスジでしょう。 それこそ、 陵墓同様に皇室管理になったとしてもおかしくないのに。
asahi.com(朝日新聞社): 3世紀前半の大型建物跡、 邪馬台国の中枢施設か 奈良
2009年11月10日22時7分
奈良県桜井市の纒向(まきむく)遺跡(2世紀末~4世紀初め)で、 3世紀前半(弥生時代末~古墳時代初め)の大型建物跡1棟が見つかった。 市教委が10日発表した。 同時期の建物としては、 国内最大の面積で、 邪馬台国の女王・卑弥呼が君臨した時期にあたり、 専門家は「邪馬台国の中枢施設の可能性がある」と指摘している。
佐賀新聞の情報コミュニティサイト ひびの: 奈良・纒向遺跡に大型建物跡 卑弥呼の宮殿か
2009年11月10日更新
石野博信兵庫県立考古博物館長(考古学)は「畿内説に立てば、 卑弥呼の宮殿とみていいだろう。 これほど計画的に配置された建物群は同時期に国内で例がない」と指摘。 これに対し、 九州説の研究者は「遺跡全体の発掘が進んでおらず、 今回の発見だけで卑弥呼と結び付けるのには無理がある」と反論している。
床を支える束柱つかばしら跡もあり、 黒田龍二神戸大准教授(日本建築史)が市の依頼で復元した結果、 高さ約10メートルの入り母屋造りと想定された。 市教委は「纒向遺跡の中枢部が明らかになった。 中心的な人物がいたと考えて間違いない」としている。
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