(続) 詳説日本史研究 改訂版
前の記事で、 池田信夫 blog によれば、 詳説日本史研究 改訂版 に 『「倭人伝」 という書物はない。 その内容も後代になって書かれた伝聞や推測で、 信頼性は低い。』 と書かれている、 と紹介しました。
が、 これは誤りでした。
ようやく 詳説日本史研究 改訂版 を入手出来たので、 該当する記述を探してみました。 「倭人伝」 について書かれているところから、 二箇所ほど引用してみます。
( p.28 本文 )
( 前略 ) 三国時代をむかえた。 この時代の歴史書である 『三国志』 のなかの 『魏志』 倭人伝には、 3世紀前半から中葉の倭の情勢がかなり詳しく書かれている。( p.28 脚注 )
正確には 『三国志』 のなかの 『魏書』 の 「烏丸鮮卑東夷伝」 のなかの倭人の条のことで、 倭人に関する記載だけで一伝が立っているわけではない。 『三国志』 は西晋の陳寿が 3世紀後半に著したもの。
そのほかかなりの量の記述があり、 倭人伝の解釈についてはいろいろ問題がある ( 意見が分かれている ) とされています。 しかしながら、 「後代になって書かれた」 という記載を見つけることはできませんでした。
引用したように、 「3世紀前半から中葉の倭の情勢」 を 「3世紀後半に著したもの」 であるという記述があるだけです。
また、 倭人伝の全体の内容を、 「伝聞や推測で、 信頼性は低い」 とするような記述も、 見当たりませんでした。
ということで。
池田氏が箇条書きのひとつとして書かれた、
「魏志倭人伝」は存在しない:三国志の一書である魏書に「倭人の条」があるだけで、「倭人伝」という書物はない。その内容も後代になって書かれた伝聞や推測で、信頼性は低い。
…という文章を、 私はすべて、 詳説日本史研究 改訂版 からの引用・要約であると受け取ったのですが、 それは思い違いで、 「その内容も~」 という後半のくだりは、 池田氏の意見・主張でありました。
また、 残りの箇条書きの文章については検証していませんが、 引用・要約と、 氏の意見・主張とが、 同様に混ざって書かれている可能性があるでしょう。
※ ちなみに、 詳説日本史研究 改訂版 でも、 三国志によると、 と言いながら、 なんら注釈もせずに 「邪馬台国」 と書いています (p.28)。 三国志によるならば、 「邪馬壱国」 ですね。
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