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2007年11月16日 (金)

「栗は木材界の野生児」

日経夕刊 2007/11/12 の「あすへの話題」 の欄に、 建築家・藤森照信氏が寄せた、 「栗は木材界の野生児」 と題する文章が、 とても興味深い。

三内丸山から栗の柱が、 出雲大社からは杉の柱が発見されたことから始めて、 縄文時代は栗で弥生以降はスギ・ヒノキに変わってきたと言われるがそれは寺院などの大建築に限った話なのだ、 と続きます。

民家のレベルでは、 東日本ではいつまでも栗の時代がつづく。
( 中略 )
江戸時代、 さらに近代に入ってでも、 東日本で山に木を植えるといえば栗がふつうだったという。 私が信州の古老に聞いたところでは栗だけでなく、 きまってナラと一緒に混植しないとうまく育たなかったそうだ。

へぇ~、 近代まで東日本ではクリを植林してたとは!
また、 ナラと混植すると良く育つ、 という古老の話は貴重な伝承だと思います。

このことで、 私は鹿島神宮の植林の話を誤解していたと気づきました。
9世紀後半、 今の茨城県の鹿島神宮の近くで植林した、 という話が日本三代実録に出てきます。
スギ 4万本とクリ 5700本を植えたのだそうです。 → 鹿島神宮の植林の記録

クリを植えたのは食べるためだと思い込んでいて、 どうして神領にクリなんか植えたんだろうと、 ちょっと不思議でした。
藤森氏の話によれば、 神社の本殿とかの大切な建築物はスギで作るけれど、 お仕えする人の住まいとかはクリで作ったんではないか、 と言えますね。

※ 三代実録の 「今までは那賀郡から伐採してきていた」 という那賀郡は、茨城県の水戸市や那珂市のあるあたり。
三代実録の話の以前は、 那賀郡にスギ 4万本くらいの山が、 鹿島神宮のためだけにあったわけことになるわけですね。
那珂市には常陸二ノ宮と称される静神社があります。 静神社のためのスギを提供する山もあったはずです。 鹿島神宮のための分も合わせて、 どれだけのスギ林があったことか。 それらのスギ林も、 きっと植林だったのでしょうね。
それと。  「今までは那賀郡から~」 というのは、 嘉祥元年 (848) に大和朝廷へ奏上した話で。 それで許可が下りて、 実際に植林を始めたのが貞観八年 (866) ということのようです。 ( 『日本書紀』の史料批判 関東と蝦夷 )

※※ 原文 →   國學院大學 神道・神社史料集成 鹿島神宮 の 「『日本三代実録』貞観8年正月20日丁酉条(866)」 の項。
# この中の 「又言」 は、 嘉祥元年の話の続きだと思う。
# あ、 あれ? 「造宮材木多用栗樹」… クリを材木として多用するって書いてありました。 orz
# はて… 「榲樹卅四株」 ( スギ 34株) って? 「卅四」 を誰かが「四万」に改訂した?
また謎が増えちゃいました f(^^;

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