東日流外三郡誌 寛政原本の画像
ミネルヴァ書房刊 「なかった 真実の歴史学 第3号」 (ISBN13: 978-4-623-04913-4) に、 昨秋発見されたという東日流外三郡誌の寛政原本の写真、 それと、 大正の頃とされる写本と、 昭和38年とされる写本の写真が載っています。
筆跡を見ることにはド素人の ( もちろん筆跡鑑定なんぞ出来る筈はない ) 私の眼には、 4つとも別人が書いたように見えます。
ちなみに、 昭和38年写本は和田喜八郎氏の筆跡とのこと。
また、 喜八郎氏の娘さんの筆跡が 「『新・古代学』 古田武彦とともに 第1集」 ( 1995年 新泉社 ) に掲載されています。
※ 左から順に、
1. 「なかった 真実の歴史学 第3号」 口絵2 『「東日流内三郡誌 安部小太郎康季 秋田孝季編」 (寛政原本)』
2. 「なかった 真実の歴史学 第3号」 口絵4 『「寛政五年七月 東日流外三郡誌 二百十巻 飯積邑 和田長三郎」 (寛政原本)』
3. 「なかった 真実の歴史学 第3号」 p.15 上『「東日流外三郡誌 三百六十二巻」 (明治写本 - 大正期)』、 下『和田喜八郎写 「東日流外三郡誌」 (昭和38年)』
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コメント
> 科学的な分析を積み上げていくことが大事
同感です。
まだしも考古学の世界では、 年輪年代法や C14 法といった科学的分析手法に対して、 きちんと向き合おうという流れがこのごろ強くなってきたように思います。
ひるがえって日本古代史の世界は、 いまだに科学的な分析や論証はどうでもいいという扱いをし続けているように感じています。
「なかった 真実の歴史学 第3号」 には、 さらに 「寛政原本」 の用紙の電子顕微鏡写真も載せられています。 筆跡以上に、 素人の私には意味が掴めない写真です。 これについて古田氏は、
/*
国際日本文化研究センター(日文研)による電子顕微鏡撮影(右の第一から第五まで)によっても、いっさい「問題なし」の結果だった。近世古文書として“合格”だったのである。
( http://www.furutasigaku.jp/jfuruta/kaihou81/kai8101.html )
*/
と報告しています。 昭和の時代には、 (自作すれば別でしょうけれど) 入手することはできない材料・製法の紙であった、 というわけです。
ただし、 日文研がなにをどのように判定したのかは公表されていないようですし、 その検証 (偽書説側の責務でしょう) も行われていないようです。
投稿: biac | 2010年2月14日 (日) 11時43分
貴重な画像、拝見しました。
見る限りでは私もみな違う筆跡に見えます。
しかし筆跡鑑定はしょせん主観による判定に過ぎません。これら資料の科学的分析をすればもっといろいろな事が分かるはずです。
偽物説を書かれている方の論証にもそうとは言い切れない点が多々あります。
また資料がすべて本物とも言い切れないような気がします。
いろいろと理屈で本物、偽物と言っていないでもっと科学的な分析を積み上げていくことが大事なのではないでしょうか。
投稿: ハローワーカー | 2010年2月14日 (日) 01時19分