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2006年5月20日 (土)

[メモ] 神武の故郷は筑紫であってはならなかった

※ 単なる思いつきのメモです。 そのうち時間が取れたら、 詳細を書くかもしれません。

日本書紀を作ったときの想定読者には、 唐の皇帝も含まれていたはず。

「日出処天子」 の国書で隋の不興を買い、 その後継である唐に滅ぼされた九州王朝を、 近畿王朝は目の当たりにした。 その唐に不興を買うような国史は、 絶対に世に出すわけにはいかぬ。 神武の故郷が筑紫であったことは多くのものが知っているし、 古事記にもそう書かれた。 しかし、 それでは近畿王朝は九州王朝と同源であることを公表することになる。 それはまずい、 唐の不興を買うやもしれぬ。

こうして、 九州王朝の存在を抹殺するだけでなく、 日本書紀は神武の故郷も宮崎へと書き換えることとなった。

 

初出: 2006年05月20日
http://akari.kabe.co.jp/magsite/Content.modf?id=20060520224351

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