真脇の巨木柱列は 「灯台」 ではなかった
真脇遺跡の巨木柱列 (正確には列というよりサークル) は、 「灯台」 ではないかと、 ひそかに考えていました。 ( もっとも、 夜には役に立たなかったでしょうけれど。 )
この 5月連休に能登に旅行したとき、 真脇遺跡に寄る機会がありました。 やはり歴史は足にて知るものなり、 です。 実際に遺跡の場所に立ってみると、 そこから海は見えました。 しかし、 http://noto.town.noto.ishikawa.jp/iseki/gaiyou/gaiyou.html に 「三方が山で囲まれています」 と書いてある通りで、 真脇の入り江に回り込んでこないととても見えそうもない場所でした。
ということで、 ひそかに考えていた 「真脇の巨木柱列は 『灯台』 である」 という仮説は間違っていたという結論になりました。 f(^^;
遺跡から撮影した写真を添付しておきます。 中央付近やや右の、 円形に盛り土のしてあるあたりが、 ウッドサークルの出土地のようです。 なお、 ウッドサークル出土地あたりからだと、 線路の盛り土が邪魔で海はほとんど見えません。
初出: 2006年05月20日
http://akari.kabe.co.jp/magsite/Content.modf?id=20060520230721
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