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2006年5月の2件の記事

2006年5月20日 (土)

真脇の巨木柱列は 「灯台」 ではなかった

真脇遺跡の巨木柱列 (正確には列というよりサークル) は、 「灯台」 ではないかと、 ひそかに考えていました。 ( もっとも、 夜には役に立たなかったでしょうけれど。 )

この 5月連休に能登に旅行したとき、 真脇遺跡に寄る機会がありました。 やはり歴史は足にて知るものなり、 です。 実際に遺跡の場所に立ってみると、 そこから海は見えました。 しかし、 http://noto.town.noto.ishikawa.jp/iseki/gaiyou/gaiyou.html に 「三方が山で囲まれています」 と書いてある通りで、 真脇の入り江に回り込んでこないととても見えそうもない場所でした。

ということで、 ひそかに考えていた 「真脇の巨木柱列は 『灯台』 である」 という仮説は間違っていたという結論になりました。 f(^^;

 


200605mawaki01a

遺跡から撮影した写真を添付しておきます。 中央付近やや右の、 円形に盛り土のしてあるあたりが、 ウッドサークルの出土地のようです。 なお、 ウッドサークル出土地あたりからだと、 線路の盛り土が邪魔で海はほとんど見えません。

 

初出: 2006年05月20日
http://akari.kabe.co.jp/magsite/Content.modf?id=20060520230721

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[メモ] 神武の故郷は筑紫であってはならなかった

※ 単なる思いつきのメモです。 そのうち時間が取れたら、 詳細を書くかもしれません。

日本書紀を作ったときの想定読者には、 唐の皇帝も含まれていたはず。

「日出処天子」 の国書で隋の不興を買い、 その後継である唐に滅ぼされた九州王朝を、 近畿王朝は目の当たりにした。 その唐に不興を買うような国史は、 絶対に世に出すわけにはいかぬ。 神武の故郷が筑紫であったことは多くのものが知っているし、 古事記にもそう書かれた。 しかし、 それでは近畿王朝は九州王朝と同源であることを公表することになる。 それはまずい、 唐の不興を買うやもしれぬ。

こうして、 九州王朝の存在を抹殺するだけでなく、 日本書紀は神武の故郷も宮崎へと書き換えることとなった。

 

初出: 2006年05月20日
http://akari.kabe.co.jp/magsite/Content.modf?id=20060520224351

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