倭≠大和
倭≠大和、 正確に言うならば、 「倭」は必ず「大和」のことであるとは限らない、 というしごくあたりまえのことです。 そのあたりまえのことが、 例えば日韓歴史共同研究報告書でもないがしろにされてしまっています。
そこで、 倭≠大和 の例をいくつか挙げておこうと思います。
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倭≠大和、 正確に言うならば、 「倭」は必ず「大和」のことであるとは限らない、 というしごくあたりまえのことです。 そのあたりまえのことが、 例えば日韓歴史共同研究報告書でもないがしろにされてしまっています。
そこで、 倭≠大和 の例をいくつか挙げておこうと思います。
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国立科学博物館にて 『特別展 「縄文 VS 弥生」』 というのをやっているそうです。 → 国立科学博物館, 国立歴史民俗博物館, 読売新聞社
見に行っていないので、 実際にどのような展示・解説がなされているかはわかりませんが、 NHK で紹介された内容が気になったので、 書いておきます。
NHK の放映では、 「弥生時代の服は、 絹で出来たものもありました」 というような紹介のされ方をしていたように記憶しています。 これを 「弥生時代の人は皆…」 と受け取った方は居ないだろうと思います。 おそらくは 「弥生時代の偉い人の中には、 絹で作った服を着ていた人もいた」 くらいに理解されただろうと思います。
ところで、 NHK ではとくに注釈を付けていませんでしたから、 多くの人は 「日本列島中の弥生時代の偉い人は…」 と受け止めたのではないでしょうか。 しかし、 これは出土事実に反します。 絹製品が出土した弥生時代の遺跡は、 いまのところ九州北部にしか無いのです。 → 絹のデータベース (邪馬台国の会), ( 詳しくは、 布目順郎著「倭人の絹」を参照。 )
出土しているモノに照らして考えるならば、 絹製品は 弥生時代:九州北部 → 古墳時代:中国・近畿地方へ伝播 したことになるでしょう。 弥生時代にあっても、 日本列島の中での地域格差はあったのです。 すなわち、 「弥生時代、 九州北部の偉い人の中には、 絹で作った服を着ていた人もいた」 というのが、 おそらくは正確な表現でしょう。
初出: 2005年08月08日
http://akari.kabe.co.jp/magsite/Content.modf?id=20050808133328
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