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2004年7月 4日 (日)

[つっこみ] 老農 船津伝次平

川俣晶の縁側 で 船津翁の碑 を紹介しているところで、 『近代の農業に貢献した人……らしいのですが案内板の文章も分かりにくく、 ピンと来ませんでした。 「船津翁の碑」として google で検索しても3件しか出てきませんし』 と嘆いておられます。 ので、 ぐぐってみました。

"船津" & "飛鳥山" あたりで検索してみると、 フルネームは 船津伝次平 か 船津伝次兵衛 であろうと分かります。 船津伝次平 かと、 あたりをつけて検索してみると…
Google で "船津 伝次平" を検索する
…88件ヒットしました。 たぶん、「伝次平」でいいのでしょう。

ちなみに、 ヒットした最初のページ http://miyama.uncle.or.jp/karuta/jomo/jro.html によれば、

和算で培った科学的精神とおう盛な研究心で伝次平は、 太陽光線で温められた石を育苗に利用した有名な石苗間育苗法をはじめ、 さまざまな農業技術を考案。 また、 弱冠二十七歳で名主となり、 赤城山ろくの原野に松を植林するなど、 幅広い分野で卓抜した指導力を発揮した。 こうした活動が、 殖産興業政策を推進していた政府の目に止まり、 駒場農学校 (現在の東大農学部) に招かれることになる。

農学校を経て農商務省の巡回教師となり、 沖縄を除く全国各地で農業技術について講演。 「明治の三老農」の一人として全国的に知られたが、 伝次平は終生、 上州の一農民としてのスタイルを守り続けた。

…という人だったようです。


( しまった! まるで古代史じゃないや f(^^; )

 

初出: 2004年07月04日
http://akari.kabe.co.jp/magsite/Content.modf?id=20040704212011

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