[本] 法隆寺は他所から移築された。 では、どこから…?
法隆寺は、 最初から今の場所に建てられたのではなく、 じつは別の場所に建っていたものを移築したものだった、 という説が 10年以上も前に出ています。
この本の第I部、 ざっと50ページほどを読んでみれば、 移築された (少なくとも、 一度分解されてから、 再び組み立てられた) ことを疑うのは難しくなるでしょう。
しかし、 米田氏のこの本の第II部で示されている 「観世音寺から」 移築されたのだ、 という推論は、 納得のいくものではありませんでした。 なぜなら、 観世音寺の伽藍配置だけを論拠としている以上、 同じ伽藍配置を持つ寺ならば、 どこでも移築元になりえるのに、 観世音寺でなければならない理由が示されていないように思うからです。
では、 どこから…?
川端氏は、 法隆寺を建てるときに使ったモノサシが、 唐のものではなく、 それ以前の、 しかも南朝のものだと推測し、 それが法隆寺の実際の寸法に上手く合うことを確かめます。 しかし、 観世音寺とされる遺跡に残っている礎石の位置関係から、 法隆寺とは寸法が決定的に合わないことを論証します。
では、 どこから移築されたのか? まだ読んでいるところなので、 きちんと論証できているかは判断できないのですが、 氏は法興寺だと考えているようです。
十数年ぶりに現れた、 米田説に対するまともな応答。 わくわくしながら読み進めているところです。
初出: 2004年03月28日
http://akari.kabe.co.jp/magsite/Content.modf?id=20040328231159
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