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2007年11月 1日 (木)

[萌ゆる神の国!] 卑弥呼って誰?

卑弥呼に該当する人物が、 日本の記録に残っているか…?
ざんねんながら、 この本にも書かれているように、 今のところ謎です。

( p.18 脚注 )
これまで多くの人物比定がなされてきた。 卑弥呼=アマテラス説もそのひとつで、 古代の女王=神話の女王というのはむしろ導き出しやすい想像でもある。

このほかに、 記紀の人物との比定としては、 卑弥呼=シタテルヒメ ( 下照姫・オオクニヌシの娘 ) 説や、 卑弥呼=ミカヨリヒメ ( 甕依姫・九州筑紫の豪族の祖 ) 説、  卑弥呼=ヤマトノヒメノミコト ( 倭姫命・ヤマトタケルの叔母 ) 説、 卑弥呼=ヤマトトトヒモモソヒメノミコト ( 倭迹迹日百襲姫命・第7代孝霊天皇の皇女 ) 説などがある。

文献に残っているなかで最も古いと思われる、 卑弥呼=神功皇后 説が抜けてますねぇ f(^^;

日本書紀は、 卑弥呼=神功皇后 ( じんぐうこうごう ) であると主張しています。
神功皇后は、 第14代仲哀天皇 ( ちゅうあいてんのう ) の妻で、 夫の死後、 摂政になったとされます。
以前 ( 大正末まで ) は、 第15代の天皇であったとされていました。

そして日本書紀は、 三国志の記事を持ってきて、 神功皇后の記事として掲載しています。
卑弥呼の名を伏せて 「倭女王遣大夫難斗米等」 とか 「倭王復遣使大夫」 といった部分を載せているのです。
日本書紀の立場としては、 卑弥呼=神功皇后 だというわけです。

ところが、 卑弥呼の後を継いだ壱与のことまで、 日本書紀は神功皇后だと言っちゃいました。
やはり名は伏せて、 「武帝泰初二年十月、 倭女王遣重訳貢献」 と。
中国の史書を学んだ者にとっては、 卑弥呼=神功皇后 で、 かつ、 壱与=神功皇后だと言うんですから、 ムチャな話です。
このおかげで、 卑弥呼=神功皇后 説が顧みられることはほとんどなくなりました。

しかし、 日本書紀が 卑弥呼=神功皇后 としたのには、 それなりの理由があったはずです。
それはおそらく、 卑弥呼は女王であった、 ということでしょう。
ということは、 大和朝廷の歴史の中に卑弥呼を求めるなら、 その人は、 天皇か、 せめて天皇の代役をしていた女性でなければなりません。 そうして探してみると、 神功皇后しか見当たらなかった、 ということではなかったかと思います。
また、 日本書紀の立場 ( 歴代天皇の祖はアマテラスである ) からすれば、 夫を持たず、 宗女 ( 同族の女性 ) の壹與が後継者になったという卑弥呼を、 アマテラスに当てるわけにもいかなかったと思われます。

さて。
王やその代理だったとは思えないオオクニヌシの娘や、ヤマトタケルの叔母孝霊天皇の皇女では… 卑弥呼たる資格が無いでしょう。

ミカヨリヒメというのは、 筑紫国風土記逸文に出てくる人物で、 「現在 ( 風土記記録時点か? ) の筑紫の君たち ( 王たち ) の、 祖 ( 最初の祖先 ) である 」 と書かれています。 つまり、 筑紫の国の女王だったと。
もし、 邪馬壱国の場所が福岡県 (  筑紫国 ) あたりだったとするならば、 卑弥呼=ミカヨリヒメ の可能性が出てきますね。


《史料》

日本書紀巻第九 気長足姫尊 ( 神功皇后 )
1. 三十九年是年也。 大歳己未。 魏志云。 明帝景初三年六月。 倭女王遣大夫難斗米等。 詣郡、 求詣天子朝献。 太守鄧夏遣使将送詣京都也。 ( 鄧 = 登 + おおざと )
2. 四十年。 魏志云。 正始元年。 遣建忠校尉梯携等、 奉詔書・印綬。 詣倭国也。
3. 四十三年。 魏志云。 正始四年 倭王復遣使大夫伊声者・掖耶約等八人上献。
4. 六十六年。 是年。 晋武帝泰初二年晋起居注云。 武帝泰初二年十月。 倭女王遣重訳貢献。
※ 1. で 景初三年とあるが、 現存する三国志では景初二年。
※ 4. は壹與の遣使。 西晋時代の事件であるが、 卑弥呼は魏の時代に死んでいる。


倭人伝
1. 景初二年六月、 倭女王遣大夫難升米等詣郡、 求詣天子朝獻、 太守劉夏遣吏將送詣京都。 其年十二月、 詔書報倭女王
2. 正始元年、太守弓遵遣建忠校尉梯儁等奉詔書印綬詣倭國、 拜假倭王
3. 其四年倭王復遣使大夫伊聲耆、掖邪狗等八人、上獻生口
4. 壹與遣倭大夫率善中郎將掖邪狗等二十人送政等還。 因詣臺
※ 4. の事件は、 魏の後の西晋時代であるため、 魏の歴史を描く三国志には、 その年次が入っていない。

筑後国風土記逸文
昔、 此の堺の上に麁猛神あり、 往来の人、 半ば生き、 半ば死にき。 其の数極く多なりき。 因りて人の命尽の神と曰ひき。
時に、 筑紫君・肥君等占へて、 今の筑紫君等が祖甕依姫を祝と為して祭る。
爾より以降、 路行く人、 神に害はれず。 是を以ちて、 筑紫の神と曰ふ。
※ 通説は、 理由なく 「今」 は 「令」 の誤りであると改訂して、 「筑紫君・肥君等占へて、 筑紫君等が祖甕依姫をして祝と為して祭らしむ」 と読んでいます。

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コメント

いちよ倭国女王のしたことは、記紀に書いてあります。倭国なとは、この世に一つだけの国名倭国です。 白村江戦で倭国は敗れましたが、勝った日本列島の3国のタイ国カイ(蝦夷)国熊襲(クマソ)国がありました。詳しくは私のブログであるau oneブログ学習を見てください。

投稿: 諸星千枝子 | 2010年2月16日 (火) 14時30分

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