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2007年10月23日 (火)

[萌ゆる神の国!] 分れて百余国を為す

(p.17) 弥生時代にあたる紀元 2世紀ごろには、 日本にこうした国が百あまりもできていたことが、 中国の歴史書に書かれています。

これは間違い、 あるいは 「紀元」 の誤植でしょう。

百余国だったのは、 中国の文献にもとづく限り、 1世紀の前半より昔のことです。
おそらくは、 紀元前 2世紀よりも以前のことでしょう。

 

漢書』 卷二十八下 地理志
孔子悼道不行、 設浮於海、 欲居九夷、 有以也夫、 樂浪海中有倭人、 分爲百餘國、 以歳時來獻見云。
(後漢 班固)

( 読み下し: 孔子、 道の行われざるを悼み、 設し海に浮かば、 九夷に居らんと欲す、 以有る也、 夫れ、 楽浪海中に倭人有り、 分れて百余国を為し、 歳時を以て来たりて献見す、 と云う。 )

1世紀後半に作られた漢書 ( 選者 班固 ) には、 こう書かれています。
「 孔子 ( 紀元前551年~紀元前479年 ) は、 ( 世間で ) 『道』が行なわれないことを嘆き、 もし海に浮かんで ( どこかに行ってしまえるなら )、 九夷に居住しようと思った。 理由は有るのだろうか。
( その理由は、 ) 楽浪海中には倭人がいて、 分れて百余国をなしていて、 歳時ごとにやって来ては謁見し貢物を献上していたからだ、 と言われている。 」

もともとの漢文には句読点がありません。 ( 上に引用したものも、 後世、 適宜句読点を入れたものです。 )
ので、 どこで切るかによって意味が変わってしまうこともよくあります。
漢書地理志の 「分れて百余国を為し」 は、 おそらく最後の 「云」 ( ~と言われている ) に掛かるでしょうから、 1世紀後半の班固から見て、 過去の話です。  孔子の時代の話だとさえ読むことができます。

 

三國志』 魏書 第三十 烏丸鮮卑東夷傳
倭人在帶方東南大海之中、 依山島爲國邑、 舊百餘國、 漢時有朝見者、 今使譯所通三十國。
(晉 陳壽)

( 読み下し: 倭人は帯方の東南大海の中に在り、 山島に依りて国邑を為す、 旧百余国、  漢の時朝見する者有り、 今使訳通ずる所三十国。 )

3世紀に書かれた三国志では、 こうです。
「 倭人は帯方郡の東南の大海の中にいて、  山島によりそうようにクニを作っている。 古くは百余国であった。 漢の時代に朝見する者があった ( 金印授与の件 )、 今は三十国と使訳が通じている。 」

百余国だったのは、 例の 「漢委奴国王」 金印授与 ( 紀元 57年 ) よりも以前だった、 と陳寿は認識しているように読めます。

 

後漢書』 東夷傳
倭在韓東南大海中、 依山嶋爲居、 凡百餘國、 自武帝滅朝鮮、 使驛通於漢者三十許國
(劉宋 范曄)

( 読み下し: 倭は韓の東南大海の中に在り、 山島に依りて居を為す、 凡そ百余国、 武帝、 朝鮮を滅ぼしてより、 使駅漢に通ずる者、 三十許国。 )

5世紀に書かれた後漢書では、 こうなってます。
「 倭は韓の東南の大海の中にいて、 山島に依りそうようにクニを作っている。 およそ百余国、 武帝が朝鮮を滅ぼし (紀元前108年) てからは、 使駅を漢に通じるものは三十余国となった。 」

范曄の認識では、 紀元前 2世紀の終わりに三十余国になったように、 読み取れます。

まとめると。
百余国あったのは、 班固が生きていた 1世紀後半よりは、 確実に昔のこと。
范曄の 「武帝が朝鮮を滅ぼす」 より以前とするなら、 紀元前 2世紀以前のこととなります。 班固が書いた 「分為百余国」 が孔子のときの話だとすると、 紀元前 5~6世紀のことになります。

# 個人的には孔子の時代のことだと判断してますが、 上に挙げた文だけからそう結論するのはムリ f(^^;

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