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2007年10月27日 (土)

[萌ゆる神の国!] 邪馬台国の卑弥呼?

( p.18 ) さて次に出てくるのが、 有名な 『魏志倭人伝』 と邪馬台国、 卑弥呼です。
漢が滅んだあと、 中国では魏、 呉、 蜀の三国時代となります。 『三国志』 ですね。
そのうちの魏に伝わる歴史書が 『魏志倭人伝』。 このなかに、 倭の強国として邪馬台国があって、 30もの小国を従え、 女王は卑弥呼だ、 と書かれています。

ぇえと、 まずは、 単純ミスと思われるとこから。
× 「そのうちの魏に伝わる歴史書が 『魏志倭人伝』。」
    ↓
○ 「そのうちの魏のことを伝える歴史書が 『魏志』。」

Wajinden01a で、 歴史書の名前としては、 『三国志』 です。
三国志は、 魏書・呉書・蜀書の 3部構成になっています。
魏書 ( 魏志とも言う ) には、 魏そのものと、 魏の周辺国のことが記録されています。 その最後の章にあたるのが 「烏丸鮮卑東夷傳 ( 通称、 東夷伝 ) 」 で、 そのさらに最後の節にあたるのが 「倭人伝」 です。
魏書・呉書・蜀書のそれぞれを独立した歴史書扱いすることはありますが、  ページの途中から始まってたりする 「倭人伝」 を独立した歴史書扱いするのはムリでしょう。

※ 宮内庁書陵部が所蔵している三国志 ( 紹煕本 ) には 「倭人伝」 という見出しがついています。 ( 上の画像 )
しかし、 見出しの付いていない版本もあります。
また、 「東夷伝の倭人伝」 と言うと、 どちらも 「~伝」 ですから二つの関係がわかりません。  「東夷伝の中の倭人伝」 と書けばいいんですが、 いちいち書くのは面倒だと言うんで、 学者は 「倭人条」 と呼ぶようです。 ( 三国志に 「倭人条」 と書いてあるわけではありません。 )
※ 紹煕本 ( しょうきぼん ) : 三国志の版本のうち、 南宋紹煕年間 ( 1190~94 ) に刊行が始まったといわれるものを、 こう呼んでいます。
※ はん‐ぽん【版本・板本】版木に彫って印刷した書物 ( 広辞苑第4版 )

さて。
( 魏志倭人伝のなかに ) 邪馬国があって (…中略…) と書かれています。」
…というのも、 間違い。

Wajinden_yamait01a 画像を見てもらえば一目瞭然、 「邪馬国」 と書いてあります。
「臺」 (台) じゃなくて、「壹」 (壱) です。 「邪馬臺 (台) 国」 とは書かれていません。
この紹煕本だけではなくて、 現存する三国志の版本のほとんどが 「壹」 なんだそうです。
※ ちなみに残りは、 もっとシンプルな文字 「一」 だそうです。 ( 明景北宋本 )

じゃ、「邪馬臺国」 ( 邪馬台国 ) はというと、 後漢書のほうに出てきます。 ( ただし、 後漢書の地の文ですから、 後漢書が書かれた頃の呼び名です。 )

ちなみに、 倭国の中心を指すと思われる固有名詞を、 中国の史書から 7世紀まで抜き出してみると、 こんな風です。
1世紀    倭奴国    後漢書 ( 5世紀に成立 )
3世紀    邪馬壱国    三国志 ( 3世紀に成立 )
5世紀    邪馬台国    後漢書 ( 5世紀に成立 )
7世紀    邪靡堆    隋書 ( 7世紀に成立 ) ※「靡」であって、「摩」ではない。
7世紀    邪摩惟    後漢書 ( 7世紀の唐の李賢による注釈 )  ※「惟」 であって、「堆」ではない。

※ 「靡」 は 「一世を風靡する」 の 「ビ」。 呉音は 「ミ」。

# 素直に 「ヤマタイ」 と読めるのは ( って、 日本語読みですけど f(^^; )、 5世紀のやつだけ。 あとは、 「この字は、 こういう字の間違い」 って言わなきゃ、 ヤマタイとは読みようがないです。


ついでに。
「卑弥呼」の卑は略字のようで、 帝紀のほうでは 「弥呼」 となってます。
三国志/巻4 三少帝紀( 正始四年 ) 冬十二月、 倭国女王俾弥呼遣使奉献。」

奴国王 といい 弥呼 といい、 昔の中国には、 固有名詞の漢字の偏 ( へん ) を省略するクセでもあるみたいですね。

 

ところで。
では、 壱じゃなくて 「三国志の邪馬台国」 が現代の常識のようになっているのは、 どうしてかというと。
江戸時代の学者、 松下見林が書いた異称日本伝 ( 1688年 ) が、 その始まりだと言われています。

まず、 異称日本伝の序文。
「当に、 我が国記 ( = 日本書紀 ) を主とし、 之 ( = 異邦之書 ) を徴して論弁、 取舎すれば、 則ち可なるべきなり。」
日本書紀を主として、 海外の史書を見比べて、 取捨選択すればよい。 ( 日本書紀に合うものを取り、 合わないものは捨てればよい。 ) …という、 異称日本伝の著述方針が示されています。

そして、 先に後漢書倭伝を引用して、
「今按ずるに邪馬台国は大和の国なり。 (…中略…) 邪馬台は大和の和訓なり。」
理由を挙げることなく、 邪馬台国は大和の国のことである。 邪馬台の読みはヤマトであると断定しています。
# "臺" の字が、 3世紀あるいは 5世紀の中国で "ト" と読まれたはずだ、 という調査も抜き、 です。 ( "臺" の発音は "タイ"、 "ダイ" のようなものしかないらしいです。 )

それから、 魏志倭人伝を引用して、
「今按ずるに、邪馬壱の壱はまさに台に作るべし。」
邪馬壱の壱の字は、 台と書くべきである ( 台の書き間違えである ) と、 これまた理由を述べることなく断定しています。
なぜそう断定できるかというと、 序文にあるように日本書紀に合うように解釈すればよいから、なんですね。

で、 これ以降、 「三国志の邪馬台国」 が定着した、 と。

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