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2005年5月24日 (火)

礼を争い、朝命を宣べずして還る

客人が来ているときは、その顔を立ててあげるのが礼儀だと思っていたのですが。 どうもそうではなかったようで。

  • 2005/5/17 中国 呉副首相 来日
  • 同/20 日本 小泉純一郎首相 参院予算委員会にて、 靖国神社へは「個人として参拝している」、 「ヒトラーの墓参りをするのとは全く別の問題だ」などと発言。 同16日の衆院予算委での 「いつ行くかは適切に判断する」 との発言とあわせて、 靖国神社への参拝をやめる考えのないことを強調した。
  • 同/23 呉儀副首相 小泉純一郎首相との会談を中止し、 急遽帰国。
  • 同/24 日本 自民党 亀井静香元政調会長 講演にて、 会談を中止して帰国したことについて 「まことに失礼だ」 発言。

客人の顔を立てるどころか、 面子を潰すようなことをしておいて、 怒った客人が椅子を蹴って帰ってしまったら、 無礼者呼ばわり。


今回のいきさつの評価は置いておいて。 思い出したのが 7世紀前半にあった事件です。

西暦631年、 当時の唐の国 (中国) から日本列島の倭国 (日本国ではない) に、 外交官がやってきました。 そのときのいきさつが旧唐書の倭国伝に書かれています。

遣新州刺史高表仁 持節往撫之 表仁 無綏遠之才 與王子争禮 不宣朝命而還

[試訳]
(皇帝は、) 新州の刺史・高表仁に 「(外交官の印である) 節」 を持たせて (倭国に) 派遣し、 なだめさせようとした。 ところが表仁に外交の才能が無く、 (倭国の) 王子と礼儀を争い (= 面会の場でどちらが上かなどと、体面に固執し)、 朝命 (皇帝の意思) を述べることなく帰ってきてしまった。

その17年後、 倭国は間接的に (新羅経由で) 唐に国書を送ったことが旧唐書に書かれていますが、 その記事を最後に、 旧唐書から倭国は消えてしまいます。 (余談ですが、 旧唐書では、 そのあと日本伝に続きます。)

大国の面子を要求する唐と、 国土は小さくとも国力は強大だと自負している倭国。 名目上の上下関係を要求する唐の外交官と、 客人に対しても自分の考えを押し通す倭国の王子。 そして、 話にならんと帰ってしまった唐の外交官。 なんだか今回のてんまつに似ている気がします。

7世紀、 このあと倭国と唐は戦争に突入し、 30年ほど後の白村江の戦いで倭国は敗北することになります。

ちなみに、 日出処天子の子供か?

以下はまったくの余談ですが、 旧唐書の礼を争った王子というのは、 有名な日出処天子の子供に当たる可能性があると思います。

日出処天子のことは隋書の [イ妥] 国伝に書かれています。 (日本国ではない)

※ [イ妥] : にんべん+妥 という字。 「タイ」 と読むそうだ。

[イ妥]國 在百濟新羅東南 水陸三千里 於大海之中依山島而居 魏時 譯通中國

[試訳]
[イ妥]国は百済・新羅の東南にあって、 水陸三千里にわたって大海の中の山島に依って居る。 魏の時代に、 譯 (通訳、 外交使節) を中国に通わせた。

※ この文章から、 [イ妥]国は魏史倭人伝の邪馬壱国を受け継いだ国であると、 中国側は認識していることが分かります。

[イ妥]王姓阿毎 字多利思北孤 (中略) 名太子為利 歌彌多弗利

[試訳]
[イ妥]王は姓を阿毎 (アマ? アメ?) といい、あざなを多利思北孤 (タリシホコ?) という。 太子 (王位継承権のある王子) を 利 と名付ける。 上塔 (かみたふ) の 利 である。

大業三年 其王多利思北孤遣使朝貢 (中略) 其國書曰 日出處天子致書日沒處天子無恙云云

[試訳]
大業三年 (607年) に、 その王・多利思北孤は隋に遣使し朝貢した。 そのときの国書にいわく 「日出ずる処の天子、 日没するところの天子へ書をいたす。 つつがなきや…」 うんぬん、 と。

この国書の 24年後に、 礼を争った王子の事件が起きたわけですから、 その王子とは 利 の可能性があります。 あるいは 利 の子供かもしれませんが。

※ なお、 旧唐書の倭国伝には、

倭国者 古倭奴国也 (中略) 世與中国通 (中略) 其王姓阿毎氏

[試訳]
倭国とは、 いにしえの倭奴国のことである。 代々、 中国に通ってきていた。 その王は (唐の最初の頃では) 阿毎氏である。

と、 隋書の[イ妥]国と同じ国を示しているであろうと判断できる記述があります。

 

初出: 2005年05月24日
http://akari.kabe.co.jp/magsite/Content.modf?id=20050524222821

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